死せる諸葛生ける仲達を走らす

2007年12月6日

※以前に別のブログで書いたものを記録用に写したものです。仮名遣ひが異なりますので慣れない方は若干読み辛いかも知れませんがご容赦下さい。

亮数ゝ挑懿戦。懿不出。乃遣持巾幗婦人之服。亮使者至懿軍。懿、問其寝食及事煩簡而不及戎事。使者曰、「諸葛公夙興、夜寐、罰二十以上、皆親覧。所噉食、不至数升。」懿告人曰、「食少事煩。其能久乎。」亮病篤。 有大星、亦而芒。墜亮営中。未幾亮卒。長史楊儀整軍、還。百姓奔告懿。懿追之。姜維令儀反旗鳴鼓、若将向懿。懿不敢逼。百姓為之諺曰「死諸葛、走生仲達」懿笑曰、「吾能科生、不能科死。」亮嘗推演兵法、作八陣図。至是懿案行其営塁、嘆曰、「天下奇材也。」

【大意】

亮は度々司馬懿(仲達)に戦ひを挑んだが、懿は出てこなかつた。亮は婦人物の頭巾と服を贈つた。亮の使者が懿の所に着くと、懿は戦の事には触れず、その寝食や職務の忙しさを尋ねた。使者は「諸葛公は朝早く起き夜は遅く寝ます。二十打以上の罰は自ら見てゐます。そして食べる量はわずかです。」と言つた。懿は人に告げて「食が細く、仕事は忙しい。もう長くはあるまい。」と言つた。亮は病が篤くなつた。

赤い光を放つ大きな星が亮の営中に堕ちた。間もなくして亮は死んだ。長史の楊儀は軍を整へすぐさま撤退を始めた。百姓は走り、このことを懿に告げた。懿はこれを追つた。姜維は旗を翻し、太鼓を鳴らし、今まさに懿に向かうかのやうに見せた。懿は敢へてそれ以上追わなかつた。このため百姓達の間では「死んだ諸葛が生きてゐる仲達を走らせた」と言はれた。懿は笑つて「私は生きたものの事はよく分かるが、死んでゐるものの事までは分からない。」と言つた。亮は嘗て兵法を推し進め、八陣図を作つた。懿は亮の陣に至つてその営塁を調べて周り、感嘆して言つた。「亮は天下の奇材である。」

【語注】

「数」 しばしば
「幗」 女性が頭を包む布
「戎」 戦争・つはもの
「夙」 早い、つとに
「親」 みづから
「噉」 くらう
「升」 升目の単位。当時の一升は今の一合ぐらゐ。
「芒」 ひかり
「奔」 はしる
「逼」 せまる
「走」 逃げる
「料」 はかる
「推」 おす、おし進める。 「推演」原理を推し進めて適用する。
「案」 調べる・考える。 「案行」調べてまはる。

【覚へ書き】

背景を知らないと少し分かりにくいかも知れません。

司馬懿(仲達)は魏軍の将軍、諸葛亮は蜀軍の軍師、楊儀、姜維は亮の配下です。この場面は蜀軍が魏に攻め入つてゐるところで、蜀軍は長征軍故に補給に不安を抱へてをり、司馬懿はそこをついて持久戦に持ち込もうとしてゐました。亮としては魏軍を引きずり出し、一気に決着をつけたいところですが、懿はなかなか動きません。そこで婦人物の頭巾と服を贈り男らしくないぞと挑発したのです。それに対し懿は蜀からの使者にそれとなく亮の日常の様子を尋ね、亮の先が長くないことを見抜き、挑発には乗らなかつたのです。

亮は果たして間もなく死に、蜀軍は撤退を開始します。懿は追撃にかかりますが、姜維はあたかも反転して応戦するかの如く見せたので、懿は亮が死んだといふのは欺くための計略かも知れないと考え、深入りするのをやめました。

民は是を「死んでいる諸葛を恐れて仲達が逃げた」とからかひました。また死しても猶威光を放つ孔明に敬意を表してゐるとも読めます。

日本では諸葛の部分を孔明とし「死せる孔明生ける仲達を走らす」といふ風に言はれることも多いやうですが、原文の「死諸葛走生仲達」は「葛」と「達」で韻を踏んでをり、孔明に置き換へるとその味わひは消えてしまひます。蜀軍が撤退した後、その陣地を調べた懿は、その見事さに感嘆し「素晴らしい人材であつた。」とつぶやいたのです。