百人一首

※以前に別のブログで書いたものを記録用に写したものです。仮名遣ひが異なりますので慣れない方は若干読み辛いかも知れませんがご容赦下さい。

おもしろく感じた歌と、それにまつわる簡単な覚へ書きを書き留めておきます。本の受け売りです。私が間違つて理解してゐることもあるかと思ひますので、興味を持たれた方はご自分でも調べてみることをお奨めします。

大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立

和泉式部保昌にぐして丹後国に侍りけるころ、都に歌合のありけるに、小式部内侍歌よみにとられて侍りけるを、中納言定頼つぼねのかたにまうできて、歌はいかがせさせ給ふ、丹後へ人は遣はしてけむや、使はまうでこずや、いかにも心もとなくおぼすらむ、などたはぶれて立けるを、ひきとどめてよめる
小式部

【覚え書き】

和歌にはしばしば詞書というものが付いてゐて、その歌が詠まれたときの状況などが説明してあります。この歌も詞書と併せて味はふとよくわかります。

まず人物の関係を整理すると、この歌の作者は小式部内侍といふ人で、当時歌の名手とされてゐた和泉式部の娘です。中納言定頼といふのも当時の歌の名手です。

詞書の大意は、和泉式部が夫の保昌に連れ添つて丹後国に赴いてゐたとき、都で歌合があり小式部内侍も詠み手に指名された、そこへ中納言定頼が来て、「歌はどうですか、丹後へ人を遣はしましたか、(丹後からの)使者はまだ来ないやうですが、心細いでせう。」などとからかつて、行かうとしたところを引き留めて読んだ、といふ風です。つまり、定頼は歌の名手と名高い母に代作を頼んだほうがいいのではないかと小式部を馬鹿にしたのです。そこですかさずこの歌を返しました。

「大江山」、「いく野」はいずれも地名で、都から母のゐる丹後の国への道すがらにあります。ここでは地名を並べることで遠く隔たつてゐるといふことを表してゐます。「まだふみも見ず」は「まだ踏みもみず」、つまりまだ踏み入れたことのない、と「まだ文も見ず」、つまり(母からの)文など見てゐない、といふ意味を掛けてゐます。「天の橋立」は地名で、丹後国にあります。母のゐる場所でせう。意味としては、大江山やいく野を越えていかなければならないほど遠く離れた天の橋立には私は踏み入つたこともなければ、そこからの文を貰つたこともありません、となります。

定頼は、お前には歌の才能がないからお母さんに代作を頼んだらどうだとからかつたのですが、それに対して見事に歌で返して見せたのです。

君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ
光孝天皇

【覚え書き】

意味は、君のために春の野に出て若菜をつんでゐると、その衣の袖に雪が降り積もつてゐた、といふやうなところです。技巧を凝らしたわけではありませんが、うららかな春の野、一面に広がる菜の花の淡い緑と黄色、そこにはらはらと振る白雪、なんとも美しい情景が浮かんでくるやうです。

吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしというふらむ   文屋康秀

【覚え書き】

意味は、ひとたび吹くと秋の草木はたちまち萎れてしまう、なるほど山風は荒いといふものももつともなことだ、といつたところです。自然の厳しさにしみじみと感じ入つてゐる様子がわかります。もちろんこれだけでも素晴らしい歌なのですが、最後に一つあつと驚く仕掛けが隠されてゐます。横書きだと気づきにくいですが、縦書きにして、漢字で書いてみて下さい。もうお気づきでせうか。

吹くからに秋の草木の萎るればむべ山風を荒らし(嵐)というらむ

さう、縦書きにすれば一目瞭然ですが、山風=嵐なのです。こうして字面でも遊んでゐるのです。意味の上でも、なるほど、山風は嵐とも言へるほどの激しさだ、といふ含みを持たせることになります。 よくもまあこんなことを考え付くなあと感心します。