僕の師匠のご夫君であるヨープスト先生が先日亡くなりました。とっても寂しいです。彼とのことを書き留めておきます。
ヨープスト先生はドイツ人です。なぜ先生と呼んでいるかというと、大学教授だったからです。日本には20代のときに来たそうで、60年ほど日本で暮らしたことになります。僕よりも日本歴は長いです。真言宗の僧侶でもあり、お茶、お花の心得もあります。そして銭湯が大好きです。日本人よりも日本人らしい方でした。
僕が18で師匠に師事してから、ほどなくしてヨープスト先生とも知り合いました。ときどき師匠のお宅に伺う機会があったので、そこでお会いしたのだと思います。大学教授という職業柄もあってか、若者が好きで、僕のこともとても可愛がってくれました。
まず思い出すのはご飯をよく食べさせてくれたことです。学生は貧乏で食欲は旺盛と相場が決まっています。先生と会う時は財布を気にせず美味いものをたらふく食えるのが嬉しかったです。食事のときの話もまた楽しみでした。博識で、ユーモアがあって、ちょっと皮肉が効いていて、面白い話をたくさん聞かせてもらいました。食後にデザートとコーヒーを嗜むという大人の習慣を覚えたのも先生の影響です。
それから、先生は大の風呂好きでした。師匠のお宅に伺った際は、必ず食事に行ってそれから一緒に銭湯に行くのがお決まりのコースでした。先生は湯船にはつからず、サウナと水風呂を往復します。僕は先生に連れて行ってもらうまで、サウナなんて入ったことはなかったのですが、おかげですっかりサウナが好きになりました。大学の後輩の分ちゃんは、今では熱波士の資格も持つ熱烈なサウナーになりました。
若く無知な僕に常識や礼儀を教えてくれたのも先生です。今でもはっきり覚えていますが、はじめて京都へ旧七夕会を見に行ったときのこと。僕は館内でもキャップを被ったままでした。先生は柔らかい口調で、室内では帽子をとった方がいいですよと教えてくれました。たいていの若者がそうであるように、僕も「先生」という存在自体がなんだか嫌いで、「先生」の言うことは基本的に聞かないという姿勢で生きてきました。けれども、ヨープスト先生の注意はわりにすんなりと聞いていたように思います。先生の人柄でしょうか。ちなみに師匠の言うことは全く聞かずによく喧嘩していました。
先生は僕のことをとてもよく褒めてくれました。僕のいけた花をいつも素晴らしいと言ってくれて、人に会うたびに彼は妻の一番弟子でとても熱心で才能があると紹介してくれていました。親バカのようなものですが、とても嬉しかったし、励まされていたように思います。師匠は僕を全く褒めないどころか叱ってばかりだったので、ちょうどよかったのかもしれません。飴と鞭ですね。
僧侶でもあったので、インドのチベット仏教寺院と縁があって、そのお寺のために自費で僧院を建てました。師匠は毎年インドへいけばなを教えに行っていて、その寺の若いお坊さんたちが必ず手伝ってくれました。僕も4回お供をしました。一度はその僧院に一週間ほど滞在して、お坊さんたちと共同生活をさせてもらいました。あれは楽しかったな。象に乗ったり、お城で馬車に乗ったりと珍しい経験をたくさんさせてもらいました。一緒に旅をしたのはとてもいい思い出です。
常に穏やかで理性的であろうと努めている姿に、若い僕は感じるものがありました。一方で頑固でわがままなところもあって、それがまた人間臭くて魅力でした。人懐っこくて話好きで、皆に好かれる人でした。
最後に会ったのは1月の頭です。夏に社中のいけばな展をやってその写真集を持っていきました。来たいと言っていたのですが、晩年は足の病気でほぼ寝たきりだったので、来ることは叶わず、写真を見せますと約束していたのです。写真集を見て、とっても喜んでくれて、いつものように談笑して別れました。食欲がないとは言っていましたが、いつもと変わらない様子だったので、まさか今生の別れになるとは思いもしませんでした。いつかは別れが来るのは分かっていましたが、もっと一緒に話がしたかったです。ただただ寂しい。
本当にお世話になりました。一緒にたくさん楽しい時間を過ごしましたね。ゆっくりと休んでください。合掌。