村上春樹さん「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」谷崎潤一郎賞贈呈式での選考者祝辞

2012年5月24日

丸谷才一さんの『挨拶はたいへんだ』という著者がいろいろなところでした挨拶を一冊にまとめたものの中から、村上春樹さん「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」谷崎潤一郎賞贈呈式での選考者祝辞をご紹介します。話としても実にうまくまっていて楽しいのはもちろんのこと、谷崎潤一郎、丸谷才一、村上春樹、僕がこの3者の作品になぜか惹かれるその理由がすっきりとわかり、嬉しくなりました。

村上春樹さんの「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」はエレベーターの話からはじまります。そのエレベーターは普通のものと何から何まで違つてゐて、まづ、非常に広い。オフィスとしても使へるくらゐで、ラクダを三頭と椰子の木を一本、入れることだつてできさうである。第二に新品の棺桶のやうに清潔である。第三におそろしく静かで何の音もしない。階数を示すボタンも、ドアの開閉のためのボタンも、非常停止装置も、定員や注意事項を書いた表示もありません。

で、それに乗つてゐる主人公はつぶやくのです。「どう考えてもこんなエレベーターが消防署の許可を得られるわけはない。エレベーターにはエレベーターの決まりというものがあるはずなのだ」と 。

これと同じやうに、読者たちは、村上さんの新作を読んで、「小説には小説のきまりといふものがあるはずなのに」とつぶやくかもしれません。たしかにこの長篇小説は現代日本小説の約束事にそむいてゐます。

第一に、主人公は作者自身である……らしいといふ錯覚を与へない。村上さんが地下の国であんあ大旅行をしたはずはないし、彼がいくつかの職業についたと言つても、計算士なんて変な商売で暮らしを立ててゐたはずはない。まして彼の頭脳に人工の超知能が植ゑこまれてゐるなんて、とても思へません。第二にこのことでもわかるやうに、これはSF仕立てであつて、明治末年以後、約八十年にわたつてつづいて来た、小説は生の現実に密着しなければならないといふ風習に逆らつてゐます。そして第三に、汚したり、読者に不快感を与へたりすることが文学的勘どころになるといふ、これも約八十年つづいた趣味を捨ててゐます。それから、作者あるいは作中人物の誠実さによつて感動させようといふ態度もありませんね。これはもともと非常にしやれたつくりの法螺話ないし大がかりな冗談なのですから、当然のことであります。

さういふ訣別と反逆を、村上さんは実に淡々とおこなつてゐるのですが、その結果、出来あがつたものは、極めて優雅な憂愁に富む一世界で、すくなくともわたしには、かなりの程度、納得がゆきました。そしてこの長篇小説は、選考委員の一人である大江健三郎さんの言葉を借りると、「パステル・カラーで描いた二枚のセルロイドの絵をかさねる」やうな、甘美な様式のものなのに、仔細に調べると充分な苦さが重りのやうについてゐて、それが作品を安定させ、作品と文明を結び付けてゐます。わたしは村上さんの力量に敬意を表さないわけにゆきませんでした。

言ふまでもなく、われわれの文学風土においてこのやうな長篇小説を書くことは、大変な冒険であります。そして、この文学賞が記念する作家である谷崎潤一郎には、極めて喜劇的な角度から男女の仲を考察する『痴人の愛』、前衛的な暗黒小説ともいふべき『卍』などにあらはに示されてゐる、果敢な冒険家としての側面がたしかにありました。考へてみれば、谷崎潤一郎もまた、エレベーターらしくないエレベーターをたくさん作つたエレベーター職人であつたかもしれません。その意味でも、今年もまたいかにも谷崎賞にふさはしい受賞者を得たと喜んでゐます。

『挨拶はたいへんだ』