私の駄目な

山口瞳さんの『私の駄目な』と題されたお話に、いけばなのことが書かれていました。その部分をちょっと引用してみましょう。

私にとって不得手なものはいくらでもあるが、そのなかのひとつが活花(いけばな)である。これは、どうにもならない。やさしそうでいて、実にむずかしい。 活花といったって、水盤に剣山を置いて、といった本式のものではない。そんなものをやる気はない。私のは投げいれである。あるいは一輪挿しである。庭から椿なら椿を取ってきて、壺や徳利や籠にいける。または、花屋からバラなんかを買ってきて花器にいける。これがどうにもならない。まことに不様である。もしそれが正月の花であったりすると、はじめからどうしていいかわからない。 実際は、簡単なことなのだ。たとえば、ムラサキシキブを取ってくる。それを瓶にさす。それだけのことだ。それだけのことであるけど、私がやるとサマにならない。そうかといって、活花の稽古をするという気にはならない。

『私の駄目な』

この文章の趣旨とは逸れますが、僕の好きな作家が日常的に花を愛でていた(しかも自分でいけていた!)ことを知って、つい頬が緩みました。外の作品からも、花への思い入れの深さが伺い知れ、いい気持ちになりました。