vs帝京

早稲田33-14帝京

見事快勝です。FWでしつこく縦を突かれて先制されたときは去年の二の舞かと心配しましたが、あわてずしっかりと自分達のラグビーを貫きました。点を取られても慌てるそぶりがなく、頼もしく感じました。

今年はとにかく走り勝つということでしょう。個々に素晴らしいランナーが揃っていて、それぞれが積極的に仕掛けて持ち味を出しました。個の能力を発揮するための組織での崩しもお見事です。多彩なサインプレーを駆使して相手DFを翻弄していました。

特に目を惹いたことをひとつ。人のいるところに走って、引き付けてすれ違いざまにパスというプレーが多く見られました。ぎりぎりのところでやっているのでミスもありますが、さらに精度を高めていけば強力な武器になるでしょう。

前回の公式サイトの辻監督のコメントで、山中選手は上手くなろうという意思があるからキッカーをまかせているとありました。正直なところ、山中選手はコンバージョンはそんなに上手な印象はなかったので、他の選手に蹴らせるべきではないかと思っていましたが、そのコメントを読んでなるほどなと思ったものです。そして、今日はその期待にきっぱり応えてくれました。4/5の成功率は立派です。難しい角度からも決めていました。この調子で技術を磨いて欲しいですね。

昨年敗戦の時にグランドに立てなかった有田選手、田辺選手がいて勝ったというのは嬉しいですね。雪辱を果たしました。

早稲田大学ラグビー蹴球部
http://www.wasedarugby.com/

ドガ展

ポスターの絵柄にもなっている「エトワール」は流石でした。キラキラと光っていて綺麗でした。有名な絵ってやっぱりそうなるだけのことはあるなあといつも思います。外にもいくつか好きな絵がありました。

vs立教

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さあ、いよいよ対抗戦の開幕です。今期は春シーズンを全く見られていないので、様子がさっぱりわかりません。メンバー表を見ると知らない名前もちらほらと。

さて、お手並み拝見と観戦した訳ですが、近年の中では初戦としては最低のスコアでした。そういう方針なのでしょうが、FWが近場で縦をつくということをほとんどせず、ほぼ外に展開していました。ラインにFWも積極的に参加しており、とにかくボールを動かしてみんなで走ろうということなのでしょう。これが吉とでるか凶と出るか。現に相手との力の差を考えると、あまり得点できなかったと言っていいと思います。よりDFが強固な相手との場合にどうなのでしょうか。とちょっと後ろ向きな風に書きましたが、はまれば面白いと思います。FWで手堅く行くチームが上位を占める中で、キラリと光る存在になれるでしょうか。
有田主将は見せてくれました。やっぱりこの人は3列がいいですね。いきいきしていました。

野球いろは歌留多

丸谷才一さんの『綾とりで天の川』という随筆集の中に「野球いろは歌留多」と題されたお話がありました。

題名のとおり、野球いろは歌留多を作るろうという趣向です。僕が割りと野球好きなのと、著者の文章の芸とで、実に楽しめました。少し紹介しましょう。

まずは「い」、これは「開巷第一ですから、景気よく、柄が大きく出なくちや恰好がつかない」から難しいと言い、あれこれと悩みます。その件も面白いのですがここでは省略。そしてたどり着いたのがこれ。

い いはゆる一つのプロ野球

うん、お見事。野球いろは歌留多の巻頭を飾るのにこれ以上相応しい文句は無いですね。さて、次に行きましょう。ちょっと飛ばして「と」

と 投手のサヨナラ・ホームラン

これは意外に多いもので、ペナント・レースで18回ある。
国鉄・金田は二へんも。さすがは金田。
しかしすごいのは1973年8月30日、阪神と中日のゲーム。阪神・江夏は中日をノーヒットに抑へたまま九回を終る。延長戦にはいつて十回表、十一回表もノー・ヒット。
十一回裏、江夏が自分でサヨナラ・ホームランを打ち、ノー・ヒット・ノー・ラン達成。
脱帽するしかないよ。
しかしもう一つ特筆大書すべきものは1958年10月17日、西鉄と巨人の日本シリーズ第五戦での3対3の延長戦、十回裏、稲尾がサヨナラ・ホームラン。
歴史的といふよりもむしろ神話的。「神様、仏様、稲尾様」だから当然だけれど。

薀蓄を傾けながら、偉大な記録を楽しく教えてくれます。その偉大さがひしひしと伝わってくるようです。つぎは「を」

を 男の子ならここで打て

野球解説者は野球に詳しくて、頭がよくて、話が上手で、話しっぷりが明るくて、それにもちろん現役時代に実績があればなほいいが、意外に忘れられてゐるのが声がよくなければならぬこと。それらの美質をことごとく備へたのが豊田泰光。チャンスが到来して、子規ならば「そゞろに胸の打ち騒ぐ」とき、彼はただ一言、
「ここで打つたら男の子」
と声をかける。
いいねえ、あの呼吸

いいねえ、この調子。僕は豊田泰光の解説なんて聞いたこともないですが、その情景が浮かんでくるようです。ぜひ一度聞いてみたい。

よ 4番をずらり並べたあげく

解説を略す。

これは2004年に書かれた文章です。当時の某球団は本当にこんな野球をしていました。いつのまにか本当に強いチームに変身しましたけどね。

つ 月に向かつて打て

飯島コーチが大杉選手に言つた名せりふ。豪快でいいですね。

うん、いいですね。

け 藝の極致は空タッチ

あれは phanto tag といふんださうですが、わたしは好きですね。
なかんづく、若菜の空タッチのすばらしさ!右の脇の下にボールをはさんで、左手のミットで走者にタッチしてアウト。
これがテレビにバッチリ撮られてゐたせいで、あとで審判に詫びたといふのも御愛嬌。
「いいよ、いいよ」といふ返事だつた由。

野球の多様な魅力の一つを伝えてくれます。著者の野球への愛情が感じられる一文ですね。

あ 綽名をもらへるいい選手

政治家は綽名がついて一人前なんださうで、その点「ワンマン」吉田茂なんか、千金を投じるに値するすごい綽名だと当時の某長老は評したとやら。
吉田自身、自慢だつたらしく、
「わたしの総理在任中に、ワンマン・バスといふのが出来ました」
と言つたさうだ。
そしてこの「ワンマン」に匹敵するものは各界を通じてただ一つ、「ミスター」しかない。

いやあ、鮮やか。 思わずにんまりしてしまいます。

み みんなが見たいホーム・スチール

新庄選手の、オール・スターでのホーム・スチール。よかつた。あれでこそプレイヤーである。プレイヤーは選手と訳してもいいし、藝人と訳してもいい言葉。
でも、オール・スターでのホーム・スチールは二度目で、初回は1978年の蓑田(阪急)ですつて。
ただし彼はダブル・スチール。単独は新庄がはじめて。
この次は一つ、トリプル・スチールを見せてもらひたいね。
ここでちよつと雑学を披露すれば、トリプル・スチールの主役は三塁走者。その三塁走者を二へんやつた選手がゐて、一人は原田徳光(名古屋)、もう一人は野村克也(南海)。
へえ、あの野村がねえ、と思ふでせう。それも一シーズンに二回だといふ。
「盗塁は脚ぢやない。頭です」
と言つたといふ。彼はホーム・スチールに七回成功してゐる。

当時の興奮が蘇ってきて、やっぱり新庄選手はよかったよなあなんて感慨に耽っていると、目の玉が飛び出るような情報が飛び込んできました。へえ、あの野村がねえ。最後の一文がなんとも恰好いいですねえ。

まだまだ沢山ありますがこの辺にしておきます。興味のある方は是非読んでみてください。ああ面白かった。

サフラン

お気に入りの文章の紹介です。森鷗外の「サフラン」という随筆です。こんな文章を書けるようになるといいなあ。

名を聞いて人を知らぬと云うことが随分ある。人ばかりではない。すべての物にある。

私は子供の時から本が好きだと云われた。少年の読む雑誌もなければ、巌谷小波君のお伽話もない時代に生まれたので、お祖母さまがおよめ入の時に持って来られたと云う百人一首やら、お祖父さまが義太夫を語られた時の記念に残っている浄瑠璃本やら、謡曲の筋書きをした絵本やら、そんなものを有るに任せて見ていて、凧と云うものを揚げない、独楽と云うものを廻さない。隣家の子供との間に何等の心的接触も成り立たない。そこでいよいよ本に読み耽って、器に塵の付くように、いろいろの物の名が記憶に残る。そんな風で名を知って物を知らぬ片羽になった。大抵の物の名がそうである。植物の名もそうである。

父はいわゆる蘭医である。オランダ語を教えて遣ろうと云われるので、早くから少しずつ習った。文典と云うものを読む。それに前後編があって、前編は語を説明し、後編は文を説明してある。それを読んでいた時字書を貸して貰った。蘭和対訳の二冊物で、大きい厚い和本である。それを引っ繰り返して見ているうちに、サフランという語に撞著した。まだ植物啓源などと云う本の行われた時代の字書だから、音訳に漢字が当て嵌めてある。今でもその字を記憶しているから、ここに書いても好いが、サフランと三字に書いてある初めの一字は、所詮活字には有り合せまい。よって偏旁を分けて説明する。「水」の偏に「自」の字である。次が「夫」の字、また次が「藍」の字である。

「お父っさん。サフラン、草の名としてありますが、どんな草ですか。」

「花を取って干して物に色を附ける草だよ。見せて遣ろう。」

父は薬箪笥の抽斗から、ちぢれたような、黒ずんだ物を出して見せた。父も生の花は見たことがなかったのかも知れない。私にはたまたま名ばかりでなくて物が見られても、干物しか見られなかった。これが私のサフランを見た初めである。

二三年前であった。汽車で上野に着いて、人力車を倩って団子坂へ帰る途中、東照宮の石壇の下から、薄暗い花園町に掛かる時、道端に筵を敷いて、球根からすぐに菜の花の咲いた草を列べて売っているのを見た。子供から半老人になるまでの間に、サフランに対する智識は余り進んではいなかったが、図譜で生の花の形だけは知っていたので、「おや、サフランだな」と思った。花卉として東京でいつ頃から弄ばれているか知らない。とにかくサフランを売る人があると云うことだけ、この時始めて知った。

この旅はどこへ往った旅であったか知らぬが、朝旅宿を立ったのは霜の朝であった。もう温室の外にはあらゆる花と云う花がなくなっている頃の事である。山茶花も茶の花もない頃の事である。

サフランにも種類が多いと云うことは、これもいつやら何かで読んだが、私の見たサフランはひどく遅く咲く花である。しかし、極端は相接触する。ひどく早く咲く花だとも云われる。水仙よりも、ヒアシントよりも早く咲く花だとも云われる。

去年の十二月であった。白山下の花屋の店に、二銭の正札付でサフランの花が二三十、干からびた球根から咲き出たのが列べてあった。私は散歩の足を駐めて、球根を二つ買って持って帰った。サフランを我物としたのはこの時である。私は店の爺いさんに問うてみた。

「爺いさん。これは土に活けて置いたら、また花が咲くだろうか。」

「ええ。好く殖える奴で、来年は十位になりまさあ。」

「そうかい。」

私は買って帰って、土鉢に少しばかりの庭の土を入れて、それを埋めて書斎に置いた。

花は二三日で萎れた。鉢の上には袂屑のような室内の塵が一面に被さった。私は久しく目にも留めずにいた。

すると今年の一月になってから、緑の糸のような葉が叢がって出た。水も遣らずに置いたのに、活気に満ちた、青々とした葉が叢がって出た。物の生ずる力は驚くべきものである、あらゆる抵抗に打ち勝って生じ、伸びる。定めて花屋の爺いさんの云ったように、段々球根も殖えることだろう。

硝子戸の外には、霜雪を凌いで福寿草の黄いろい花が咲いた。ヒアシントや貝母も花壇の土を裂いて葉を出しはじめた。書斎の内にはサフランの鉢が相変わらず青々としている。

鉢の土は袂屑のような塵に掩われているが、その青々とした色を見れば、無情な主人も折々水位遣らずにはいられない。これは目を娯しましめようとするEgoismus<エゴイズム>であろうか。それとも私なしに外物を愛するaltruismus<愛他心>であろうか。人間のする事の動機は縦横に交錯して伸びるサフランの葉のごとく容易には自分にも分からない。それを強いて、烟脂を舐めた蛙が腸をさらけ出して洗うように洗い立てをして見たくもない。

今私がこの鉢に水を掛けるように、物に手を出せば弥次馬と云う。手を引き込めておれば、独善と云う。残酷と云う。冷澹と云う。それは人の口である。人の口を顧みていると、一本の手の遣所もなくなる。

これはサフランと云う草と私との歴史である。これを読んだら、いかに私のサフランについて知っていることが貧弱だか分かるだろう。しかしどれ程疎遠な物にもたまたま行摩の袖が触れるように、サフランと私との間にも接触店点がないことはない。物語のモラルはただそれだけである。

宇宙の間で、これまでサフランはサフランの生存をしていた。私は私の生存をしていた。これからも、サフランはサフランの生存をして行くであろう。私は私の生存をして行くであろう。(尾竹一枝君のために。)