vs帝京

早稲田27-37帝京

帝京は貫禄がついてきましたね。早稲田は全然通用しないという訳ではないのですが、リードしていてもまるで勝てる気がしませんでした。地力に差があるのもそうですが、帝京は俺たちが負けるはずはないという雰囲気を漂わせています。一昔前の早稲田がそうだったように。

早稲田はもっと敵陣に行った方がいいのではないでしょうか。昨年、一昨年に比べると随分キックを使うようにはなりましたが、もっとやっていいのでは。帝京は確かに強いですが、怖いのは自陣に入られてからです。22mラインを割られると、止めるすべは無いと思います。

逆に敵陣にいれば、そんなに怖さを感じませんし、早稲田の攻撃は通用しています。相手にボールを渡すリスクはありますが、今の力の差だとまともにやってはどうせ勝てないのですから、ちょっとかたよった戦術をとってみても良いのではないかと思います。あくまで素人考えなのですが。

選手権での雪辱に期待しています。

早稲田大学ラグビー蹴球部
http://www.wasedarugby.com/

丸谷才一さん逝去

僕の大好きな作家である丸谷才一さんが亡くなつたさうです。この人の書いたものはとにかく愉快で、随筆にしろ小説にしろ随分楽しませてもらひました。感心したり大笑ひしたり教えられたり、僕にとつては丸谷作品を読むことはとびきりの快楽でした。もう彼の書く新しい文章は読めないのかと思ふと寂しい限りです。けれども、まだ読んでゐないものも沢山あります。ご本人は亡くなられても、作品は残るのです。これからもその素敵な世界をたつぷりと満喫せてもらひます。さういふのつて何だかいいですよね。合掌。

トーマス・デマンド展

写真を基に、その情景を厚紙で作って、それを写真に撮るということをやっている人だそうです。

実に丁寧に精巧に作られていて、とても綺麗です。本物に見えるかと言うとそうではなく、明らかに作り物なのですが、デザイン的にかなり緻密に計算しているのでしょう、見ていて心地よくなるような感じがありました。

動画作品もあって、大時化にあった船内のレストランが波を受けて揺れに揺れている場面や、雨粒が地面に叩き付けられている様子など、どれもすごい完成度で感心してしまいました。

展示の下の階では本人が自分の作品について解説した映像も放映されていて、これがまた興味深い内容でした。多くの作品が主にネット上で有名になった写真に題材をとっているそうで、受け手としてはそれを知ってから見るとどうしてもその社会的な意義のようなものを読み取ろうとしてしまいそうですが、作者としてそういう意味性みたいな物も込みではありますが、かなり視覚的に美しいというところにこだわりをもっているようで、その考え方が面白かったです。 抑えが利いていて、決して仰々しい話し方はしませんが、自分の世界観に夢中で、言葉が溢れ出て止まらないという感じのしゃべり方が気に入りました。風貌もいいです。ちょっとファンになりそうです。

村上春樹さん「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」谷崎潤一郎賞贈呈式での選考者祝辞

丸谷才一さんの『挨拶はたいへんだ』という著者がいろいろなところでした挨拶を一冊にまとめたものの中から、村上春樹さん「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」谷崎潤一郎賞贈呈式での選考者祝辞をご紹介します。話としても実にうまくまっていて楽しいのはもちろんのこと、谷崎潤一郎、丸谷才一、村上春樹、僕がこの3者の作品になぜか惹かれるその理由がすっきりとわかり、嬉しくなりました。

村上春樹さんの「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」はエレベーターの話からはじまります。そのエレベーターは普通のものと何から何まで違つてゐて、まづ、非常に広い。オフィスとしても使へるくらゐで、ラクダを三頭と椰子の木を一本、入れることだつてできさうである。第二に新品の棺桶のやうに清潔である。第三におそろしく静かで何の音もしない。階数を示すボタンも、ドアの開閉のためのボタンも、非常停止装置も、定員や注意事項を書いた表示もありません。

で、それに乗つてゐる主人公はつぶやくのです。「どう考えてもこんなエレベーターが消防署の許可を得られるわけはない。エレベーターにはエレベーターの決まりというものがあるはずなのだ」と 。

これと同じやうに、読者たちは、村上さんの新作を読んで、「小説には小説のきまりといふものがあるはずなのに」とつぶやくかもしれません。たしかにこの長篇小説は現代日本小説の約束事にそむいてゐます。

第一に、主人公は作者自身である……らしいといふ錯覚を与へない。村上さんが地下の国であんあ大旅行をしたはずはないし、彼がいくつかの職業についたと言つても、計算士なんて変な商売で暮らしを立ててゐたはずはない。まして彼の頭脳に人工の超知能が植ゑこまれてゐるなんて、とても思へません。第二にこのことでもわかるやうに、これはSF仕立てであつて、明治末年以後、約八十年にわたつてつづいて来た、小説は生の現実に密着しなければならないといふ風習に逆らつてゐます。そして第三に、汚したり、読者に不快感を与へたりすることが文学的勘どころになるといふ、これも約八十年つづいた趣味を捨ててゐます。それから、作者あるいは作中人物の誠実さによつて感動させようといふ態度もありませんね。これはもともと非常にしやれたつくりの法螺話ないし大がかりな冗談なのですから、当然のことであります。

さういふ訣別と反逆を、村上さんは実に淡々とおこなつてゐるのですが、その結果、出来あがつたものは、極めて優雅な憂愁に富む一世界で、すくなくともわたしには、かなりの程度、納得がゆきました。そしてこの長篇小説は、選考委員の一人である大江健三郎さんの言葉を借りると、「パステル・カラーで描いた二枚のセルロイドの絵をかさねる」やうな、甘美な様式のものなのに、仔細に調べると充分な苦さが重りのやうについてゐて、それが作品を安定させ、作品と文明を結び付けてゐます。わたしは村上さんの力量に敬意を表さないわけにゆきませんでした。

言ふまでもなく、われわれの文学風土においてこのやうな長篇小説を書くことは、大変な冒険であります。そして、この文学賞が記念する作家である谷崎潤一郎には、極めて喜劇的な角度から男女の仲を考察する『痴人の愛』、前衛的な暗黒小説ともいふべき『卍』などにあらはに示されてゐる、果敢な冒険家としての側面がたしかにありました。考へてみれば、谷崎潤一郎もまた、エレベーターらしくないエレベーターをたくさん作つたエレベーター職人であつたかもしれません。その意味でも、今年もまたいかにも谷崎賞にふさはしい受賞者を得たと喜んでゐます。

『挨拶はたいへんだ』