鴻門の会 その3

前回の続きです。

項王未有以応。曰、「坐。」樊噲従良坐。坐須臾、沛公起如厠、因招樊噲出。沛公已出。項王、使都尉陳平召沛公。沛公曰、「今者出、未辞也。為之奈何。」樊噲曰、「大行不顧細謹、大礼不辞小譲。如今、人方為刀俎、我為魚肉。何辞為。」於是遂去。乃令張良留謝。良問曰、「大王来、何操。」曰、「我持白璧一双、欲献項王、玉斗一双、欲与亜父、会其怒、不敢献。公、為我献之。」張良曰、「謹諾。」
当是時、項王軍在鴻門下。沛公軍在覇上。相去四十里。沛公則置車騎、脱身独騎、与樊噲・夏候嬰・靳彊・紀信等四人、持剣盾歩走、従酈山下、道芷陽間行。沛公謂張良曰、「従此道至吾軍不過二十里耳。度我至軍中、公乃入。」沛公已去。間至軍中。張良入謝曰、「沛公不勝桮杓、不能辞。謹使臣良奉白璧一双、再拝献大王足下、玉斗一双、再拝奉大将軍足下。」項王曰、「沛公安在。」良曰、「聞大王有意督過之脱身独去。已至軍矣。」項王、則受璧、置之坐上。亜父受玉北斗、置之地、抜剣撞而破之曰、「唉、豎子不足与謀。奪項王天下者、必沛公也。吾属今為之虜矣。」
居数日、項羽引兵西、屠咸陽、殺秦降王子嬰、焼秦宮室。火三月不滅。収其貨宝、婦女而東。人或説項王、「関中阻山河四塞。地肥饒。可都以覇。」項王、見秦宮室皆以焼残破、又心懐思欲東帰。曰、「富貴不帰故郷、如衣繡夜行。誰知之者。」説者曰、「人言、『楚人沐猴而冠耳。』果然。」項王聞之、烹説者。

【大意】

項王は未だ応えなかった。そして、「まあ坐りなさい」と言った。樊噲は良の隣に坐った。坐ってすぐに、沛公は厠へ立ち、樊噲を招いて出ていった。沛公はすでに外に出てしまった。それから項王は都尉の陳平に沛公を呼びにやらせた。沛公は言った、「今、辞退の挨拶をせずに出てきてしまった。どうしたものか。」と。樊噲は「大きなことを行うときに些細な謹みなど顧みません。大きな礼節を行うには小さな謙譲など問題ではありません。今、まさに相手は包丁や俎であり、我々は魚や肉なのです。どうして辞退の挨拶をすることがありましょうか。」と言った。こうして、遂に立ち去った。そこで、張良を留まらせて、謝罪させることにした。張良は「大王がいらっしゃった際に、何を持ってこられましたか。」と問うた。「私は白璧を一双持ってきて、これを項王に献じたいと思い、玉斗を一双持ってきて、これを亜父に与えたいと思ったが、その怒りにあって、献上する機会がなかった。私の為にこれを献じてくれ。」と沛公は言った。張良は「謹んでお受けいたします。」と答えた。

正にこの時、項王の軍は鴻門のもとにあり、沛公の軍は覇上にあった。その間は四十里であった。沛公は車や騎馬を残し、脱出して独り馬にのり、与樊噲・夏候嬰・靳彊・紀信の四人が剣と盾を持って歩き、酈山のふもとに沿い、芷陽を経由し、間道を通って行った。沛公は張良に言った。「この道を行けば、吾が軍に至るまで二十里もない。私が軍中に至るのをみはからい、貴公は宴席に入りなさい。」沛公は去り、間も無く軍中へ到着した。張良はもどり、謝罪して言った。「沛公は酩酊し、別れの挨拶も出来ませんでした。私が謹んで白璧一双を大王に、玉斗一双を大将軍に献上いたします。」項王は「沛公はどこにいるのだ。」と尋ねた。良は答えた。「大王に過ちをとがめる意があると聞き、単身脱出しました。すでに軍に到着したでしょう。」項王は璧を受け、坐上に置いた。亜父は玉斗を受け、これを地面に置き、剣を抜いて撞き、これを破壊して言った。「ああ、こんな小僧ではともに謀るには不足であった。項王の天下を奪うものは、必ず沛公である。今に吾らはこれの虜となる。」沛公は軍に至ると、たちまちに曹無傷を誅殺した。

数日後、項羽は兵を西へ率い、咸陽の民を皆殺しにし、降伏した秦の王子嬰も殺し、秦の宮室を焼き払った。火は三月消えなかった。その貨宝、婦女を収めて東へ帰ろうとした。ある人が進言した。「関中は四方が険しい山河に囲まれ塞がっています。地は肥沃です。ここを都として覇を唱えるべきです。」項王は、秦の宮室が焼けつくして何も残っていないのを見て、また、懐かしい心もあり東へ帰りたがった。曰く、「富貴にして故郷へ帰らないのは、美しい刺繍を施した衣を着て夜道を行くようなものだ。誰が之を知ってくれようか。」進言した者は言った。「人は言う、『楚人は猿が冠を被っただけだ。』と。果たしてそのとおりだ。」項王は之を聞いて、その者を釜茹での刑に処した。

【語注】
「須」ひげ
「臾」ぬく 「須臾」あっという間。
「方」まさに
「度」はかる
「桮」=杯 「桮杓」杯と柄杓、転じて酒席での酒のやりとり
「督」みる、みはる 「督過」あやまちをとがめる
「豎」たつ、たてる。主人のそばに立って雑用する子供、転じて子供や小役人を見下していう言葉。
「屠」ほふる、皆殺しにする
「阻」けわしい
「饒」ゆたか
「繡」ぬいとり、ぬいとりをした布
「沐猴」=木猴 猿のこと
「烹」にる、かまゆでの刑

鴻門の会 その1
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鴻門の会 その2
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