丸谷才一『御礼言上書を書き直す』より

丸谷才一さんが文化勲章を受賞された際、御礼言上の役を勤めたそうです。そのことを書いた文章の一部を紹介します。

僕はこの人の文章が兎に角好きで、とっても上手いなあといつも関心しています。ここに出てくるお礼言上書もわずか数行の文ですが、彼が書き直すととたんに生き生きと精彩を放ちます。名人芸ですね。僕もこんな風に文章が書ければなあなんていつも思います。

このあと、お礼言上の役も勤めた。これは前からひつかかつてゐたもので、その際
「そちらで用意される文面があるのでせうが、その通り申しあげなければいけないのですか?」
と訊ねた。一字一句そのままと言はれたら、それを理由に断るつもりでゐたのだが、違えてもいいといふことだつたので引受けた。向うの用意した文面はかうである。奉書に達筆で、もちろん墨で書いてあり、きちんと折つた紙に包み、「御礼言上書」と上書きしてある。

このたびは文化勲章を拝受いたしまして私共の栄誉これに過ぐるものはございません
私共はこの栄誉を体しそれぞれの分野において一層精進を重ねる決意でございます
ここに一同を代表し謹んで御礼申し上げます

そしてわたしのしたためた原稿はかうである。いつも使ふ二百字詰の原稿用紙に万年筆で書き、スマソンの白の封筒に入れた。上書きはなし。

このたびは文化勲章をいただきまして、まことに光栄なことでございます。
わたくしたちはこの光栄を喜び、それぞれの仕事にこれまでどほり励んでゆきたいと存じます。
一同を代表して謹んで御礼申し上げます。

『御礼言上書を書き直す』文藝春秋 2012.1